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zoom RSS 集団的自衛権の行使容認は正しいのか?

<<   作成日時 : 2014/07/02 00:29   >>

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安倍首相「戦争を仕掛けようとするたくらみをくじく」 集団的自衛権行使容認で
産経新聞 7月1日(火)22時59分配信
 
 政府は1日の臨時閣議で、従来の憲法解釈を変更して限定的に集団的自衛権の行使を容認することを決定した。安倍晋三首相は閣議後に記者会見し、「国民の命、平和な暮らしを守るため、切れ目のない安全保障法制の整備が必要だ。世界の平和と安定に日本はこれまで以上に貢献する」と述べ、「積極的平和主義」に基づく安全保障政策の転換であることを強調した。

 首相は記者会見で、行使容認の意義について「万全の備えをすること自体が、日本に戦争を仕掛けようとするたくらみをくじく大きな力を持つ」と述べ、日本に対する攻撃の抑止力を高める効果を強調。行使の裏付けとなる自衛隊法などの関連法改正を秋の臨時国会で実現させることを目指し、政府内に特別チームを立ち上げる考えを表明した。

 一方で、「憲法が許すのはわが国の存立を全うし国民を守るための自衛の措置だけだ。外国の防衛自体を目的とする武力行使は今後も行わない」と断言した。

 首相は臨時閣議に先立ち、公明党の山口那津男代表と官邸で会談し、限定的容認を確認した。首相は記者会見で、新たに打ち出した武力行使の3要件について「明確な歯止めとなっている」と語り、行使容認に慎重姿勢だった公明党への配慮をにじませた。

 閣議決定は、他国に対する武力攻撃が発生した場合に自衛権発動を認める要件として、わが国や「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が発生し、国の存立や国民の権利が「根底から覆される明白な危険」がある場合、必要最小限度の武力を行使することは「自衛のための措置として憲法上許容される」とした。他国に対する武力攻撃でもわが国の存立を脅かし得るとも指摘した。

 また、国連平和維持活動(PKO)に参加する自衛隊が離れた場所の他国部隊や国連職員を助ける「駆け付け警護」を可能とするため、武器使用基準を緩和する方向性を盛り込んだ。横畠裕介内閣法制局長官は「憲法9条との整合性に配慮し、憲法解釈として可能な範囲内のものになっている」と述べた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140701-00000565-san-pol



正直いって、これはどう評価したらいいのか全く分かりません。

集団的自衛権=戦争と単純には結びつけられません。
しかし、今まで以上に紛争に近づくことは間違いないことです。

捉え方としてはいろいろあると思います。
立憲主義の観点からはかなり黒っぽいグレーだと思います。
「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれ(国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は. 武力の行使)を放棄する。 」と憲法第9条に書いてありますから、この文言を残したまま「緊急避難あるいは正当防衛として」といういわば例外を根拠にいろいろやろうとするのはだいぶ無理があります。
そもそも例外というのは厳しい条件を付して最小限にとどめないと原則が骨抜きになってしまい、立憲主義の根幹が揺るがされかねません。
そう言う意味では大変危険なことです。

現実の観点から見れば、中国のように国際社会の通説とは相容れない主張を振りかざして、他国が領有権を主張する場所にどんどん踏み込む侵略行為を繰り返しています。
これはやはりどうしても止めなければなりません。
とはいえ武力衝突だけはどうしても回避したいところ。
集団的自衛権行使容認とそれによる日米同盟を初めとする国際協調の強化が本当に「抑止力」につながるのかは分かりません。むしろ、中国に軍備増強の口実を与えることにもなりかねません。

また、「わが国の存立が脅かされ、国民の生命・財産が危うくなる」という論理も抽象的でよく分かりません。
具体的には資源やエネルギー、とりわけ中東の紛争地帯を念頭に置いているような印象を受けますが、果たして砂川事件の判決を見事に解釈変更してしまった被らしの例を俟つまでもなく、後の政治家がその時々の都合が良いように解釈を変えてしまう可能性も十分に考えられます。
日本経済の屋台骨となる企業の活動が妨害された場合も「国の存立や国民の権利が「根底から覆される明白な危険」」と解釈しうる余地もあります。

さらに一例として引き合いに出される"ホルムズ海峡の機雷"の議論を聞いていても疑問に残るところが多々あります。
機雷を仕掛けることは国際法に違反することでありますが、現実には行われていることです。ならば、勝手に撤去していいかというと戦闘中に撤去すれば相手方に「攻撃」と見なされる危険があるそうです。
そこで「反撃」を受ければ応戦しなければならなくなる。
こちらの論理で「平和のため」の行為だと思っていても、相手側から見れば「国の存立や国民の権利が「根底から覆される明白な危険」」と取られる可能性もあります。
こうしたコミュニケーションのすれ違いが起これば容易に戦争の当事者になってしまう可能性もあります。特に中東地域と我々や欧米の間の価値観の違いは大きいものがあります。
場合によってはテロの地雷を踏んでしまい、日本国民がテロの標的になる可能性もあります。


こうしたことは起こるのかも知れないし、杞憂に終わるかも知れない。また、今は考えられないような危機に見舞われるかも知れません。
ですから、一概に正しいか間違っているかの評価は出来ないと思います。
結果が分かるのは数十年後になるでしょう。

子々孫々から「うちらの先祖は何をしていたのか」などと言われないような結果に終わってくれることを願ってやみません。

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